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- 157 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:18
- 民明書房シリーズ
【勃汰屋】
すなわち、等価一律店の事である。
唐家流交換術の開祖、唐華といえば交換率の良さ知れ渡っている人物だが
その技はまさに必殺技と呼ぶにふさわしく、昨今の日本においてもその犠牲者は後を絶たない。
この唐華が編み出した秘技のひとつ『壱K五回転』のことこそ今でいう『唐華転(とうかてん)』であり
現在この技に耐えられる者に高齢者が多く見受けられるのは
その極度の緊張とストレスにより実年齢より老いて見える為である
民明書房刊「殺人術100選」
- 158 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:18
- 『三店方式(さんてんほうしき)』
三店方式 この四文字熟語から人々は東洋で生み出された技術を想像してしまいがちだが
その由来は実はヨーロッパにあり中世フランスかの有名なサンテーン候が
考え出した錬金術であることを知る人は少ない。
いわゆる後年のマネーロンダリングの基礎をつくりあげた方式であり
今でこそコインなどの物を使うことが主流だが
未開発の地ではボールペンなどを現金に換えることができ
その科学的根拠は未だ証明されていない
民明書房刊「お金の不思議 基礎編」
- 159 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:19
- 『亜毛(あげ)』
明代中国のホールに『亜毛』という男がいた
亜毛は玉技の才能とぼしく最高連荘数が二回、すなわち現代でいうワンセットだったという
彼はなんとか確変を手にしても床におろした箱をすぐに上げなければならないため
いつしかその行動を人々は『亜毛る』と呼ぶようになったという
ちなみに連荘数を増やしドル箱を床に降ろす行為を『左毛』というのは
パチンコの才能豊かだった彼の弟に由来する
民明書房刊「大陸文化と兄弟愛」
- 160 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:20
- 『匹死駄名(ひっしだな)』
面白味がなく誰からも相手にされない人物のことを「宝痴(ほうち」
と呼ぶことがあるがこの『匹死駄名(ひっしだな)』は
その宝痴が「通利(つり」や「亜毛(あげ」などを繰り返すことにより
第三者に認められる名誉が『匹死駄名(ひっしだな)』である
転じて近代パチンコにおいて借金をつくってまで投資をすることをさすようになった
民明書房刊「死を超越する力にせまる」
- 161 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:20
- 『押忍割逸髪(おすわりいつぱつ)』
カルト教団「ダ・ニ」の教祖、駄似無裸には数多くの逸話が残されている。
ある日のこと駄は弟子達を呼び「今日は座して即、大当利を引いてみせる」と言った。
弟子達は皆さすがの駄でもそれは無理であろうと駄をとめたが砲留についた駄は
一言「ダ・二・ア・ル・キ」とつぶやき、弟子達が驚くほどの早さで砲留にあるすべての台に挑戦し
最後に座ったヤ・ジキタに座すこと数回転後に見事に大当利をひいてみせたと言う。
現代の常識では考えられないことだがこの時に駄が投資ししたKはわずか100程度しか越えていなかったという。
ちなみに近年の主流になっている『亡駄(ボーダ)』という技術は駄の存在を危険視した
弟子たちがヒマつぶしに「駄を亡き者」にしようという遊技が起源となっている
民明書房刊「改訂版 オカルト、その歴史と欺瞞」より
- 162 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:20
- 『怒留箱(どるばこ)』
パチンコに於いてもっとも重要とされる「玉」とは一体なにか?是すなわち人々の怒りである。
先人達はこの怒りを一つの箱に留めることを思いつき創意工夫を重ね
多くの犠牲をはらい現代の人々が「ドル箱」と呼ぶものが完成されたのである
パチンコとは遊技を行う為に日本円しか使用できないものであり
驚くことに「ドル箱」の「ドル」と米国貨幣「$」とは全く関連性はないのである
『怒留箱』とはあくまで「怒りを留める箱」なのである
民明書房刊「BOX〜その魔力に魅せられて〜」より
- 163 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:24
- 『好秘寝得茶(こうひいねえちゃ)』
男として生まれた者にとって女子の秘所に興味を持つことは恥ずべきことではない。
高級茶の産地として有名な中国四川省がまだ蜀といわれていた時代のこと
当時「我女座毛(わかめざけ)」とならび最高の飲料として珍重されていたものが
この『好秘寝得茶』である。現代この茶を精製する技術が失われつつあるのは
その危険すぎる精製方法のためである。それにはまず男好きのする女子を
厳選な抽選の結果えらびだしその秘所から茶を抽出するために
なんと女子に睾丸すなわち「玉」をあたえるのである。
玉を受け取るために女子から差し出された盆にのせることに 以下略
近年パチンコにおいてコーヒーなどもらう時に女性スタッフに玉を
与える行為はこのときの名残ではないかといわれている
民明書房刊「宦官の暗躍に迫る」
- 164 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:24
- 『羽未之非(うみのひ)』
羽未家玉術十八代当主、羽未魚軍がまだ若かりし頃の逸話である
当時の羽未家道場は門弟の数も他家にくらべると少なく
こんな時に当主の座についた魚軍は日々悩んでいたが
ある日他家道場との決定的な違いに気づいたのである
それは羽未道場には他家にくらべて「胃弁当(いべんと」が少なかったのでる
以下略
民明書房刊「集客と接客の相違点」
- 165 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:25
- 『掘根(ほるこん)』
その由来は戦国時代
武田信玄が上杉謙信との合戦に於いて
どうしても大当利がひけずに苦戦におちいっている遠方の味方の台を
はげますために一千騎の兵をならべ、いっせいに大声を出させ
電波を送ったという故事に由来する
その距離はおよそ二十五里
Kになおすと100K以上投資していたいうから驚嘆のほかない
余談ではあるが現代日本で勝負に負けた時の言い訳に「ホルコンが〜」
などと使われることがあるが、これはこの戦で武田軍が
木の根元に退却用のトンネルを掘ったことが語源となっている
民明書房刊『戦国武将考察』
- 166 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:25
- 『子龍気(しりうき)』
三国時代に蜀の五虎将軍の一人、趙子龍が編み出したという究極の秘技
ある戦でのこと子龍が椅子に腰掛け束の間の休息をとっていたとき
うたた寝をしかけた子龍に三人の刺客が襲いかかってきた
驚きとともに子龍は椅子から腰を浮かし三人の刺客と指さすと
なんと刺客達三人は金縛りにあったように並んで動けなくなってしまったという
この三人「野男丸(のおまる」「美田(びた)」「度間理(どまり)」という兄弟で 以下略
近年パチンコ店においても驚きとともに盤面を指さし椅子から尻を浮かす光景を
見かけることがあるがそれはこのときの子龍の故事にあやかってのことであろう
民明書房刊『〜危機と幸福は突然おとずれる〜』
- 167 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:25
- 【泥裏鈞糸(でいりきんし)】
中国の唐代中期に齬季(ごとし)という釣りの達人がいた。
特に彼が得意とした釣り方を泥裏鈞糸といい、河の泥の中に巧みに糸を沈め、
無警戒に近寄ってきた魚を日に100匹以上釣り上げたという。
しかしそのあまりの釣り量から近隣の河からは魚がいなくなり、ついに太守から
「齬季、放流(ほうる)に二度と寄るべからず」と命じられたという。
なお、現在ホールで違法行為を働く者をゴト師と呼ぶのがこの齬季の名から
来たものである事は言うまでもない。
民明書房刊「超大海激おさかな釣りキチです百景伝説物語」より抜粋
- 168 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:26
- 『信大意礼華江(しんだいいれかえ)』
かつて大陸に世界最大規模の帝国をつくりあげ
幾多の伝説とともに歴史にその名を残す蒙古族の長シンダイ・ハーン
その領土は今の中国雲南省華江のほとりまでおよんだという 以下略
民明書房刊「大河の流れに身をまかせ」より
- 169 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:26
- 【丹破衝当利(たんぱつ・あたり)】
明治時代の空手家、通条逗柄(つうじょうずがら)が持っていた必殺の技である。
全身の丹力を拳に込めて打ち抜くこの技を受けて一撃で沈まなかった者はなく、
そのあっけなさに観客は「また丹発かよ」と嘆いたという。
民明書房刊「ミサイル兄さんかく語りき」より抜粋
- 170 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:27
- 【鶴鞭当利】(かくへんあたり)
明治時代に暗躍した中華系暗殺集団「朱崇亊」(あかすうじ)の「煕數」(きすう)により編み出されたと言う殺人技。
丹破衝当利(たんぱつあたり)をより昇華させた技であり、一撃目を当てた後、驚くべき速さで二撃目を確実に叩き込むと言う殺人技であった。
二撃目を繰り出す速さは一撃目の約1/10の速度と言われており、一撃当たれば二撃目も確実に当たるとされていた。
後にこの技は「王晢宕」(わんせつとう)や「啼蓮茗」(だいれんちゃん)に継承されたと言われる。
また、明治後期に「荼嵩明」(ちゃんすうめい)が一撃目を空振りさせ、二撃目を確実に当てる技【咄鶴当利】(とつかくあたり)を編み出した。
この技の使い手として有名なのが「儚曹孟道」(ぼうそうもうどう)であり咄鶴当利を広く世に広めたと言われている。
民明書房刊「中国暗殺術の歴史を紐とく」より抜粋
- 171 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:27
- 【璽檀(じたん)】
中世中国の科挙(役人試験)の試験官に璽檀という人物がいた。
彼は落選者の中にまだ素質がある者はいるのではないかと考え、本試験の
落選者に張衆泰務(ちゃんすたいむ)という再試験の機会を与えた。
これは殿中作法問(でんちゅうさぽうと)と呼ばれる方式で行なわれ。
50〜100の矢継ぎ早に投げ掛けられる質問に答えられた者は復活合格者となり、
卑貴盛導師(ひきもどし)の称号が与えられたという。
なお、現在多くのパチンコに搭載されている時短機能は時間短縮の
略称と思われがちだが、本来はこの璽檀の名から来るものである事は言うまでもない。
民明書房刊「今昔受験戦争悲話」より抜粋
- 172 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:27
- 【怒殱鬼(どつき)】
インド神話に登場する伝説上の鬼で、狂暴かつ強欲な性質と剛力を持ち合わせた
凶悪な鬼である。
ある時、怒殱鬼は自らを神をもこの腕力で左右できるのではないかと考え、
羽根持つ者の神レ・レーレに戦いを挑んだ。
温厚で戦いに不慣れなレ・レーレはその攻撃の前に屈し、怒殱鬼は多くの宝を奪った。
増長した怒殱鬼は更に闘神であるラセブン・ウルトに闘いを挑んだ。
ところが今度は怒殱鬼の拳は全く通用せず、逆にレ・レーレから奪った宝の
全てを取り返されてしまったという。
なお、現在でもホールにおいて見かけるドツキ行為がこの怒殱鬼の名から
来るものである事は言うまでもない。
民明書房刊「インド人もびっくり! 裏ヴェーダの秘密」より抜粋
- 173 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:28
- 【巌實】(がんみ)
中国は秦王朝の時代に遥かシルクロードより「溟者潟里」(うみものがたり)なる武典が中国に伝えられ、
時の武芸者達に広く愛読されたと言う、そこに記されていた恐るべき三大奥義として。
刹那の瞬間に渾身の正拳を打ち込むインドより伝わりし「怒恫鬼」(どつき)
氣を込めた掌を左から右へ掃う「御葷虎韋」(ぎょぐんこい)
そして氣迫の眼力で相手のどんな技をも無にする「巌實」(がんみ)
があったと言う、これらの技は「溟者潟里」とともに瞬く間に広まり、あちこちでこの技の使い手を見るに至るほどであった。
この三大奥義を極めた者は「屎而治」(くそじじ)または「屎瑪蟆」(くそばば)と呼ばれ恐れられた。
しかし秦朝末期に「鎭數菩單」(ちゃんすうぼたん)なる武器が広まると同時にこの技を使う者も減り、
変わって「菩單攣拿」(ぼたんれんだ)なる技が編み出され多くの武芸者がこれを体得するに至ったのである。
現代のパチンコにおいて隣の台のリーチを覗きこむことを「ガン見する」と言うが、「巌實」がこの語源であることは言うまでもない。
民明書房刊「シルクロードと武勇伝」より抜粋
- 174 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:28
- 【皆死期】(みなしき)
その昔、繁栄の頂点を極めた「獏劣鬼」(ばくれつき)
を頭とする盗賊集団が各地で冷酷とも言うべき弟堕魔(でだま)の術を使い
保汚流(ホール)地区はこれに日々頭を悩ませていた。
そこで村長・他 意柵(たいさく)はこれを退治すべく1人の剣客を招き、これを退くよう嘆願した。
その剣客こそ、かの有名な剣帝・偽礼(けんていぎれ)である。
【皆死期】流剣術を引っさげ偽礼は「獏劣鬼」の前で封印していた奥義
撤虚(てっきょ)を使い見事、盗賊を撃退したのであった。
ちなみに、現在パチンコで使われている対策と言う言葉は
その当時村長であった他・意柵が語源である事はあまりにも有名な話である。
民明書房刊「線路は続くよどこまでも」より抜粋
- 175 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:29
- 【茣軍】(ぎょぐん)
中国四千年の歴史には多くの英雄、豪傑が存在するが、
戦乱の世と言われた四世紀五胡十六国時代その名を轟かせた「墹凜趁」(まりんちん)もその一人である。
茣の国一千の騎馬兵を率いて、鬼神のごとき強さで戦場を駆け抜ける姿に敵国の兵士は震え上がり、
「茣軍が来た」と腰を抜かしたと言われている。
なお昨今のパチンコにおいて大ヒットしている海物語が、
この墹凜趁の逸話を元に開発されたことは、
開発関係者の間ではあまりに有名な話しである。
民明書房刊「中国武人逸話集」より抜粋
- 176 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:29
- 【詠卍鳧吽】(えいばんけりおん)
中国は漢時代に修行僧の間で最も過酷とされた修業が
「詠卍鳧吽」(えいばんけりおん)である。
「霊唖」(れあ)や「賦霊瀰唖」(ぷれいみあ)と言われる悟りの境地に辿り着くまで
「詠卍」(えいばん)なる台の前でただひたすら
己の「氣」(けい)を費やして瞑想するのである。
この修業に挑む者は「蝌」(おた)と呼ばれ、
これを極めた者は「胆蝌」(きもおた)と称された。
なお後漢の時代にこの「詠卍鳧吽」をしのぐ過酷さを持つ荒業
「崔敢弩印貊聘」(せかんどいんぱくとう)が広まるが、
その過酷さゆえに命を落とす「蝌」が後を絶えなかったと言われる。
なお現代のパチンコにおいてレア演出やプレミア見たさに必死になる人を
「オタっぽい」と言うがそれは「蝌」から由来するものである。
民明書房刊「中国史修業百選」より抜粋
- 177 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:30
- 【咄次(とつじ)】
江戸時代中期、堺の町で最大の賭場を取り仕切る侠客に「百戒の咄次」という人物がいた。
彼は自分の賭場の客を増やすため、本来勝ちか負けかしかない丁半博打に
新たなルールを付け加えた。それは、出目によっては賭けた金をそのまま返すという
いわゆる「儲けの無い当たり」の存在であった。
これは勝ち組の博徒からは不評だったものの全体には受け入れられ、
やがて考案者の名前から「咄次」と名付けられたこのルールは全国に広がったという。
なお、現在のパチンコに搭載されつつある突時機能がこの咄次に由来する
ものである事は言うまでもない。
民明書房刊「さいころ珍道中2〜せんだみつおは無かった事に〜」より抜粋。
- 178 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:30
- 【素切風】(すきっぷう)【倍震得多】(ばいぶれえた)
人智を越える力、超能力といわれるものは
現代でも認知されているが、それを体得し、その力を武芸に発展させた
恐るべき技が秦の時代に存在した。
それは己の左手で触れたものの時を早めてしまう「素切風」(すきっぷう)と
己を小刻みに振動させることにより先を予測する「倍震得多」(ばいぶれえた)
と呼ばれる技であった、しかしこれを恐れた
秦の始皇帝は「亡器戒正」(ないきかいせい)と言われる律を立て
これを禁止した、以後これらの技は封印され途絶えたのである。
なお現代のパチンコにおいて初めてスキップ機能を搭載した機種
ブラボー5は、素切風の達人であった「韆冒拝武」(ぶらぼうはいぶ)
から由来していることはあまりに有名な話しである。
民明書房刊「中国三千年、左手でタッチ」より抜粋
- 179 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:30
- 【灑鬼瞑陣(さいきめいじん)】
中国は三国時代の大軍師、諸葛孔明が鬼門遁行の陣と並んで得意としたと言われる伝説の陣形。
これは一万きっちりの兵数を必要とし、敵に挑むと不思議な事に相手はその戦いの
要所要所でしかこちらを把握できなくなり、まるで筋書きがあるかのように
敗れ去り、更に敵将や宝を難なく捕らえられたという。
孔明自身、この陣形を高く評価しており「今奴も駑にて留めて縛り孤とす
(今奴駑留縛孤(こんやもどるばこ))」と書簡に書き残している。
また、これに対抗しえたのは、同様の効果を持つ打耶麻瞑陣(うちやまめいじん)
だけであったと伝えられている。
なお昨今、パチンコ番組などに登場する斎木名人や内山名人がこれらと酷似した
名を持っている事はまさに奇遇な一致と言う他は無い。
民明書房刊「一年で分かる三国志〜ゲェッ、孔明!?(ジャーンジャーン)編〜」より抜粋
- 180 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:31
- 【悪袈留賭(おかると)】
昭和初期の満州に谷村均(コク・ソンキン)という名の謎の僧侶がいた。
彼は当時のヤミ街で流行していたチンチロ賭博の場に現れ、負けの込んでいる
客達に「この目が出た後は当たり目が出やすい」「調子の悪い時はこうすれば
賽の目は良くなる」などの根も葉もない風説を流した。
これらは理屈を求めない博徒達に多く受け入れられ、各地の賭場は大いに混乱することになった。
このため各地の賭場主は「悪き袈裟、賭場に留めるなかれ」と警戒しあった。
これを略し、次第に谷は悪袈留賭と呼ばれるようになり、その信奉者は悪袈留佗
(おかるた)と呼ばれ忌み嫌われた。
ちなみにこの谷の末裔と呼ばれる人物が現在パチンコ業界に存在すると言われているが、
その実名は諸事情により伏せさせて頂く事を御了承願いたい。
民明書房刊「世界怪僧・奇僧大辞典」より抜粋
- 181 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:32
- 【覇陳公・迂留虎施文】(ぱちんこ・うるとらせぶん)
紀元前478年頃のこと、陳の国に施文なる男がいた。
この男の豪傑ぶりは音にきこえており、虎ですら彼の前を迂回し
近づこうとしなかったことから迂留虎の施文と呼ばれていた。
彼の強さの秘密は、派手な音と光で敵をひきつけたのちに
右手からの鶴鞭当利(かくへんあたり)と咄鶴当利(とつかくあたり)を連続で
叩き込むことにあったと言われている。
彼はのちに陳の国を制覇したが、突膳寺において味方の裏切りに遭い
陳の国も楚の国に滅ぼされたという。
この事件は突膳寺・譚(とつぜんじたん)と呼ばれ、中国4大悲劇のひとつにあげられている。
- 182 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:33
- 【波知浮浪(ぱちぷろ)】
中国・殷王朝末期、西方の果ての波と言う土地に、知浮と言う男がいた。
知浮は投石の名人で、手のひらに収まるほどの石をいつも持ち歩き、
鳥や、獣を見つけると見事な腕前で投石で狩りをしていたので、彼の一族は
砂漠の中で食料が乏しい場所であっても食べていくことには困らなかった。
そんな安定した生活が合ったのだが、そんなある日、知浮はふと思った。
もしかして、もっと獲物がいる土地に行ったらもっと裕福な暮らしが出来るんじゃないかと。
そこで彼は一族を引き連れて流浪の旅に出た。
知浮は各地で裕福な暮らしをし、112才で亡くなった後も彼の一族は獲物を求めて放浪し、
知浮の技を人々に伝え、投石の技は広まっていったのだが、その中でも人々は知浮の一族を
畏敬の念を込めて【波知浮浪(ぱちぷろ)】と呼び称えたのだった。
民明書房刊「世界の投石とその歴史100話」著/暴利 不幸 より抜粋
- 183 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:34
- 【俄誚圍辨跳】(ガセイベント)
古くは中国春秋時代、周の侵攻を恐れた小国の僧侶が書き記した殺人技の書
しかし策略により昭王の手に渡ったこの書は更なる研究による進化を遂げ
最凶の殺人拳、俄誚圍辨跳(ガセイベント)と名付けられた。
元来「爆・乱・甘・出・祭」の五つの書からなる俄誚圍辨跳は
時とともに中国全土へ広まり、その地域独自の俄誚圍辨跳が
発達し現在ではその数一万を下らないという。
胡美乃非(うみのひ)に最後まで抵抗し、ある意味最強と謳われた
餌馬雄蛇(えばおた)を将とする亜奇馬族でさえ
望双抹裏(ぼうそうまつり)に一夜にして民族ごと葬り去られた事件は
この殺人拳の恐ろしさを語るひとつの例にすぎない
- 184 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:35
- 【暑苦時急気移】(しょくじきゅうけい)
古代中国、漢の時代に酷い熱波が大陸全土を襲った。
人々は水不足と食糧難に苦しみ、多くの死者を出したのだが、そんな時代でも
武力と財力を持った有力者達は、その力を使う事で、世の地獄とは無縁の生活を送っていた。
しかし終わることなく続く天変地異に、その財力にも限界が訪れ始めたとき、
別の有力者達から力づくで奪い取ることで、乗り越えようとする者達が現れ、
世は戦乱の時代に突入していくことになる。
そんな中で勝ち続けている者達を 【暑苦時急気移】と呼ぶようになった。
民明書房刊「世界における食と闘争」著/突描 再凸 より抜粋
- 185 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:36
- 【濠湟墹凜】(ごうごうまりん)
戦乱の時代と言われた中国五胡十六国時代の英傑
「墹凜趁」(まりんちん)にまつわる逸話のうち
もっとも有名な話が「濠湟墹凜」(ごうごうまりん)である。
のちに中国を統一することになる晋国へ戦いを挑んだ茣国は
「茣軍」(ぎょぐん)と恐れられた墹凜趁率いる一千の騎馬兵で攻め入るが、
その圧倒的な兵力の前に敗北を期してしまう、
なんとか逃げのびた兵隊は墹凜趁含めわずか45名ほどであった。
しかし茣国目前にして晋の討伐兵に行く手を包囲されてしまう
敵兵300人に取り囲まれた墹凜趁は自軍の兵45人を
縦5列に編成した集団戦法で突破を計った、
この時、男達は右手の拳を高らかに突き上げ「濠湟」(ごうごう)と
雄叫びをあげ突進して行ったと言われる
その凄まじき様に晋の討伐兵は震え上がり、
わずか45名の茣兵に包囲を打ち破られたのである。
茣兵としてこの戦いに参加し生きのびた「洛康」(らっこう)は
後にこの戦法を「濠湟墹凜」として兵法書「洛康鎭樞」(らっこうちゃんすう)に書き残している。
- 186 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:37
- なお現在のパチンコにおいて海物語に変わる斬新な機種として
メーカー開発者がこの「濠湟墹凜」をヒントに
GOGOマリンを開発したかどうかは定かではない。
民明書房刊「341番、我らが糞台」より抜粋
- 187 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:38
- 【厳酸】(げんさん)
三国時代の中国の某村、圧制から民を逃すために
「巣馬寧」(すまねえ)という名の男が木製の槌で暴れまくり役人の気をひきつけた。
このとき男は「諦矢安泥」(てやんでい)と、幾度となく叫びつづけ、決してひるむことは無かったという。
しかし何千何万回転と走りつづけた後、役人に拘束され、
厳酸と呼ばれる酸の風呂に入れられその人生の幕を閉じる。
巣馬寧は大工、火消し、すし屋等、多くの職を転々としていたがどれも長く続くことはなかった。
多くの民を救った英雄と称えられる影で、好色な漢であったとの記録もある。
源さんは厳酸に投げ込まれた巣馬寧を模して現代に作製されたことを知るものはごく少数である。
民明書房刊「あそびだったのか」より抜粋
- 188 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:38
- 【燵馳羽根瑠(たっちぱねる)】
古代中国の秦の時代、新銀(しんぎん)という名の仙人がいた。
新銀には蓮陀丑(れんだちゅう)という友がいたが、陀丑は力持ちの上に
慌て者で、新銀の庵を訪れるたびに戸を叩きすぎては壊していた。
そこで新銀は仙術を戸に施し、訪問者が羽根のように戸に軽く触れるだけで
開くようにした。以後、陀丑は戸を壊す事無く訪れる事ができたという。
なお、現在タッチパネルを導入しているニューギンの社名の由来が
この仙人・新銀の名をもじった所から来るものである事は言うまでもない。
民明書房刊「叩きの歴史学〜明日のためにその1〜」より抜粋
- 189 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:38
- 【怒殱鬼千鎖阿(どつきせんさー)】
怒殱鬼の物語には、実はまだ続きがある。
ラセブン・ウルトに破れた怒殱鬼は再び羽根持つ者の神レ・レーレの許へ向かい、
また宝を奪おうとしていた。
これを知ったレ・レーレが弟である長き益喪の神(やくものかみ)イ・ヤーミに
相談すると、イ・ヤーミは千本の鎖で編んだ網をレ・レーレに渡した。
それにはウルトとの闘いで流れた怒殱鬼の血が染み込んでおり、怒殱鬼の存在を
近くに感知すると千本の鎖が絡みつき、天上から怒殱鬼の存在を教える音
「天音(てんいん)」を呼び、ウルトにそれを知らせたという。
これによりウルトに叩きのめされる事三度、ついに怒殱鬼はレ・レーレを襲う事を
諦めたという。
なお、現在新基準羽根モノに搭載されている対衝撃感知センサーが通称
「ドツキセンサー」と言われるのがこれに由来するものである事は言うまでも無い。
民明書房刊「真・裏ヴェーダの奇跡 裏の裏は表だ!」より抜粋
- 190 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:39
- 『弟地半寝(でじはね)』
大空を自由に飛ぶ鳥たちに憧れをいだいた人類は西暦1903年ついに夢をかなえた。
ウィルバーとオーヴィル。こう言えば賢明な読者諸兄においては
すでにお気づきであろうが、そうライト兄弟によってである。
しかしライト兄弟による世界初の有人飛行を影でささえたもう一人の弟
デジハネー・ライトのことを知る人は少ない。なぜならこの三番目の弟の仕事は
飛行実験に失敗して落ちてくる兄達を地上で受け止めるというものだったからである。
地味な仕事とはいえどデジハネーの仕事は他者にくらべてとても正確であり
落ちてくる兄達を救う確率は平均1/90と驚くべき高確率だったのである 以下略
近年パチンコにおいても地道な作業を行う者のことを「ハネモノ」などと呼ぶことがあるが
彼らもまたデジハネーのように大空に夢をいだいているのかもしれない
民明書房刊「縁の下の力持ち大全」
- 191 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:39
- 『江晩夏里音(えばんげりおん)』
今日はちょっと趣向を変えて怪談でもお聞かせしよう
筆者がまだ子供の頃のある夏休み、友人のカク君と近くの川で泳いで遊んでいた。
疲れたので少し昼寝でもしようと思って横になるとつい熟睡してしまい目が覚めたのは
数時間後、肌寒さを感じて起きるとすでに日も落ちて晩になっておりカク君の姿も見えない
さすがに筆者も少し怖くなって服を着て帰ろうとしたそのとき「・・・けぇ」・・・
「・・・けぇ」・・・何か聞こえるのである。さらに耳をすますと「・・・ごけぇ」
こうなっては好奇心が体を支配してしまう。恐怖も忘れて声のする川に近づくと
後ろから突然カク君が(今時の若者風に言うと突カクが)
「うごいてよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」これは筆者もビックリ。思わず
落ちていた石を拾ってカク君をタコ殴りに。
その時カク君の口が2回パカッ、パカッっと開いたのを今でも鮮明におぼえている。 以下略
九州のある地方では里帰りした夏の晩に川で不思議な音を『江晩夏里音(えばんげりおん)』というが
これ実は溺れて意識の無い筆者を必死で救おうとしていたカク君の叫びなのでは、と
年甲斐もなくロマンチックな思いを抱く今日このごろである
民明書房増刊「友を信ずることなかれ」
- 192 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:40
- 【逗柄善快天】(ずがらぜんかいてん)
「善快天」とは仏教における曼陀羅の神のうちの一人である。
その姿は三つの揃った同じ顔をもち、右手に鉄の板、左手には激熱の炎を宿している。
人々に幸福と歓喜を約束する神としてあがめられているが、
インド神話に登場する「善快天」はやや解釈が異なる場合がある。
とくにインドの旧ゲン・サーン地方やナ・ナシー地方においては、
この「善快天」は喜びをあたえてたまに期待を裏切る神とされている。
インドのことわざに幸福の絶頂から不幸のどん底に叩き落とされることを
「善快天ではずれた」と言うが、それはそれほどこの「善快天」が
人々に希望と期待を与えるシンボルとされている証なのである。
民明書房刊「苦しい時の神だのみ〜全回転ではずれかよ」より抜粋
- 193 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:40
- 【覇狆后】(はちんこう)
指弾…球状の小さな鉛の玉を強靭に鍛えた親指で弾き出し
相手の急所を一撃の元、撃ち抜くと言われる武術であるが、
中国は漢代の武芸師範であり覇家流指弾操術の創始者である「覇狆后」(はちんこう)は
その正確無比な狙い撃ちと大木をも貫き通した弾の威力で
当時の人々を大いに驚嘆させたと言われる。
この「覇狆后」に決闘を挑み一撃の元狙い撃ちされた「誅葎夫」(ちゅうりつふ)や
指弾の前に破れ去り、一族を皆絶やしにされたといわれる「彳家」(ちゃっか)の話は有名である。
ちなみにパチンコは名古屋が発祥と言うのが定説であったが、
最近では前出の創始者、「覇狆后」の名前でもわかるとおり、
中国がその起源であると言う説が支配的である。
民明書房刊「遊戯起源異聞」より抜粋
- 194 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:41
- 【覇魔璃(はまり)】
現代でこそ妖怪・魑魅魍魎の類は想像の産物とされているが、
過去、特に多くの陰陽師達が存在した平安時代にはそれらは信じられ、
多くの魔除け、護法などが生み出された。その数多い中でも「覇魔璃」こそは
重宝中の重宝と呼ばれたものである。
貴重な水晶を削り出されて作られたそれは入り口が一つしか無い建物の形を
しており、水晶の光に吸い寄せられた妖怪が入ってから入り口を閉じると、
妖怪は出口が分からなくなり永遠に中を回り続けると信じられた。
なお、現代においてパチンコ・スロットで回せど回せど当たらない状態を
ハマリと言うが、この言葉に打ち手を妖怪にあつらえた皮肉が込められている事を
知る者は少ない。
民明書房刊「世界の魔除け〜エコエコアザラクされないために〜」より抜粋
- 195 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:41
- 【娯瑠碁惨手院(ごるごさーてぃーん)】
ヨーロッパのマフィアが大規模な抗争を避けるため、しばしば代理人を立てて
ゲームや決闘をさせたのは有名な話であるが、それは江戸時代の任侠の組同士
でも同じであり、その際に多く使用された死の遊戯こそ娯瑠碁である。
そのルールは至ってシンプルかつ過酷であり、囲碁を打ち、負けた者はその場で
勝者に首を切り落とされるというものであった。
また、この娯瑠碁の達人に東郷十九郎という人物がおり、余りの非情な打ち筋から
「惨たらしい手を打つ院(碁の達人の称号)」と恐れられ、やがて娯瑠碁惨手院と
呼ばれるようになった。しかし彼は仕事自体は選り好みが激しく、大半の依頼には
「断る……」と言っていたようである。
なお、数十年前から連載の続く某有名狙撃手漫画の主人公のモデルが
この十九郎であることは、漫画マニアの間では周知の事実である。
民明書房刊「テーブルゲーム暗黒史〜次は俺のターンだ!」より抜粋
- 196 :ヽ(´∀`≡´∀`)ノ7777さん :2008/05/01(木) 22:41
- 【風錬彌杏(ふうれみあん)】
明の時代、戦に於いて比類なき強さを誇った風錬という部族がいた。
各国の王達が彼らの力を欲したのは自明の理であるが
彼らは人里はなれた洞窟に住んでおり、滅多にその姿を現すことはなかったという。
しかし、当時弱小国家であった彌国の杏将軍が指弾の修練中、偶然にも彼らの
集落を発見し、その助力を得たことで彌国が大国家へと成長した話はあまりにも有名である。
なお、現在においてもパチンコ等で大当たりが確定する演出を指してプレミアと称するのは
指弾の達人であった杏将軍への敬意が包含されているものと思われる。
民明書房刊「ダニ村における非科学的信仰とその対策」より抜粋
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